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徳川家康も滝沢馬琴も・・・
歯医者さんが初めて登場したのはいつでしょうか?
歴史を紐解くとはるか昔、大宝律令が制定された701年に初めての記述があります。
大宝律令とは、日本で初めて本格的に刑法と行政法を記した本格的な律令ですが、
その中の医疾令に「耳目口歯」として初めて歯科が記載されました。
当時は顔の器官すべてまとめてのお医者さんだったようです。
さて、現存する一番古い入れ歯は
それから800年あまりの時が流れた時代のものになります。
1538年に亡くなった和歌山県の願成寺の、
「仏姫(ほとけひめ)」という尼僧のものでした。
これは、黄楊(つげ)の木を彫ったもので、
奥歯に食事によるすり減った後が見られますので、
日常的に使用されていたものと思われます。
さて、徳川家康も晩年に入れ歯を使用していたという文献が
沢山残されています。
家康の入れ歯は、静岡県にある久能山東照宮に保管されております。
また、南総里見八犬伝の作者である滝沢馬琴も入れ歯でした。
こちらは著書の馬琴日記に、前歯を留めていた三味線の糸が切れて
入れ歯師に締め直してもらったことや、
奥歯の部分に金属鋲を打って修理したことなどが記されております。
馬琴は甘いものが大好きで、若い頃からむし歯に悩まされていたそうですが
家康は粗食で有名な人物でした。
興味深い共通点といえば、両者とも規則正しい生活を好んでいたということです。
規則正しい生活のおかげかどうかわかりませんが、当時の平均寿命を考えれば、
70歳まで生きた家康も80歳まで生きた馬琴もかなりの長寿になります。
入れ歯に頼るのも仕方ないのかもしれないですね。
さて、西洋の入れ歯は見た目を回復することが主で、
日本の入れ歯のように機能的に食事ができるようなものが登場するのは
19世紀になってからです。
入れ歯の技術は日本が西洋より200年進んでいたということになります。
さすが日本人。
食に関することは昔から世界一なのですね(笑)